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古今東西の珍盤・奇盤(もちろん名盤!)を、
奈良の若き音楽クリエイター・moanyuskyことオノユウスケが
その独自の音楽観でレビューするこのコラム。
第2回目は、彼が最も敬愛する音楽家・坂本龍一の傑作「ESPERANTO」。


光りが届く、最後の夢。
ここ数年で音楽市場がガラッと変わったように思うのは私だけでしょうか?
ケイタイでの音楽配信、ライムワイヤー等のインターネットからのダウンロードミュージック。
私の知り合いの間でも音楽を最近店では買わず、インターネットを見て満足するという人が増えているように思えます。すべての事において、身体的な感覚が抜け落ちてしまった世の中ではありますが、
音楽だけはそうなって欲しくないと願うのは私だけなのでしょうか。
目の前にある林檎を触れなくなってしまった人間たちに、
林檎の向こう側にある光を見れる日が来るのでしょうか。
今回紹介する作品は坂本龍一氏の「ESPERANTO」です。私は大の教授好きなのですが、
教授の作品の中でも1番好きな作品がこの「ESPERANTO」なんですね。
ダンスパフォーマンスのために作られたダンスパフォーマンスのための音楽。
その言葉の通り、この作品は1985年、
モリサ・フェンレイのダンスパフォーマンスのために作られた曲であります。
この音楽を初めてレコード屋で聴いた時、
私は人生のすべての価値観を覆す衝撃をくらってしまったのであります。
その衝撃というのは凄まじいものだったのですね。
右のスピーカーから左のスピーカーに音が走り抜けて行ったのであります。
視覚では表現できない音の動きに、私は音楽の楽しさを再確認したのでありますね。
1音目が始まってから、私の音楽の考え方が変わって行くのにそう時間はかかりませんでした。
音の動きを最大限に表現するために、本当に必要な音だけがそこには存在し、
その音楽自体がダンスを踊っているのであります。
私はこのモリサ・フェンレイのダンスパフォーマンスを見た事がないのですが、
(このレコードを買った店の店長さんが言うには面白くないそうだ!)
このレコードを聴きながら、そっと目を閉じてみれば、
そこにはダンサーたちがはっきりと私には見えるのであります。
坂本龍一氏の美しい音の物語りが、この40分というコンパクトな空間の中で、
めくるめく世界を体感させてくれると同時に80年代という都会的な世界感と神の緊張感とも言えよう
熱帯雨林のパラドクスが頭の中に進入し、前頭葉を突き抜け、
ゆっくりと欲望の脳を細切れにしていくのであります。
細切れになった一つ一つの部位たちを、音は黒い宇宙に飛ばしてくれるのでありますね。
どこまで飛んで行ったのか、とてもきらびやかなガスの惑星に着いたなら、
細切れになった一つ一つの部位たちのパフォーマンスを私の肉体は最大限に感じるのでありますね。
私はこの快感の先に音楽というもっとも古典的な快楽の本来あるべき姿を見てしまったように思えるのですね。それと同時に音楽という、私たちにとってもっとも短かな存在を「解体」し、
もう一度「知ってみる」という行為がいかに大事なのかという事に気付かされたのでありますね。
この事が理解できて初めて音楽と向きあえるのだと私は思うのです。
それは音楽だけではなくすべての事と向き合えるチャンスだとも私は思うのですね。
少なくとも私はこの事を知った瞬間から、人間と音楽との真の共存の姿を見たように思えるのです。
そしていつもここで、私の筆は止まるのです。
私は白い部屋の中で大きなベッドに入りながらこの手紙を書いている。
私の前に堂々とそびえる黒い物体に満足げな顔で「音の動き」や「音楽の楽しみ方」を知った時から
後の自分の話しをしてみたりする。
黒い物体は沈黙を守っている。
何万マイルも続くような限り無い黒の中に映る、
老いた自分のしわくちゃな顔を見つめながら、今日も考え込むのである。
太陽の光りがここまで届いているのか、今日もまた見に行くとしよう。
■Live info
4/21(fri):Fluid@unagidani SUNSUI
sunsui:http://www.sunsui.net/


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